はま

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ACC体験記 FILE042=Cocoさん

<ニックネーム> Coco<原発部位>>顎下腺(右)<ステージ> Ⅲ〜Ⅳ (リンパ転移があったため)<性別> 女性<罹患年齢> 22歳・大学院生<住まい>>大阪府<体験記を投稿するにあたり>顎下腺・腺様嚢胞がんを告知され、あまりの情報量の少なさに愕然としていました。そんな時にTEAM ACCの体験談を見つけて、情報収集をすることができました。今度は私の番です。私の体験談が、誰かの役に立ちますように。<体験記>ー顎下腺がんとわかるまでー2021.4右側の輪郭に沿って顎より少し上のところに、2つの小さくてしこりのようなものができました。その時は重く受け止めておらず、「ただの浮腫か脂肪」だと勘違いをしていました。2021.7月下旬ふと鏡を見て、顔の大きさに左右差があることに気づきました。特に気にしていなかったものが、いつの間にか大きくなっていました。この時に初めて「これは病院に行かなあかん。首の中やからやばい気がする。」と認識しました。2021.8.2夜にふと「今から病院に行かなきゃ」と思った瞬間が全ての始まりだったような気がします。プチ旅行から帰ってきたその日の夜、寝ようと思った時に初めてその"しこり"が何かを圧迫しているように感じました。怖くなって、自分でできる限りのことは調べました。そこで初めて、耳鼻咽喉科の病気・腫瘍の可能性があることを知りました。深夜1時だったため、近くにある大きな病院(A病院)の救急外来へ行きましたが、耳鼻科の先生はおらず、内科の先生と救急の先生が頭を抱えて「とりあえず、緊急性を見るためにCTと血液検査だけはしましょう。今日の午前中に耳鼻科に行ってください。予約をとっておきます。」とおっしゃってくださいました。3時ごろに帰宅し、6〜10時までカフェでアルバイト勤務をしました。働く気力はありました。勤務後に病院に向かい、耳鼻科外来で受診しました。その時に、エコー検査と穿刺吸引細胞診検査を受けました。この検査結果は来週に伝えると言われました。2021.8.5朝10時ごろに検査をしてくださった先生(のちの主治医)から電話があって「今日か明日、ご家族と来てください。結果をお伝えします。」と言われ、なんとなく覚悟はしました。ただ、手術をするだけだと思っていました。しかし、蓋を開けてみれば、2つとも悪性で、そのうちの1つはリンパ転移の疑いがあると言われました。その時の同伴者は父でした。父方の祖父が16年前に肺がんで他界しているため、父も衝撃を受けていました。告知された時、私は22歳。「なんで私が?」「まだ20代なのに」「何が原因なん?」と明確な答えのない、やり場のない気持ちに苛まれました。誰にこの気持ちを聞いてもらえればいいんだろうと悩み、結果が出てしばらくは1人で声を押し殺して部屋でよく泣いていました。ー手術をするまでーしかし、このタイミングで病院に行ったのがよかったのか、手術までのスケジュールが1ヶ月で決まりました。結果が出た翌日にA病院でMRI、近くにあるB病院でPETを受けました。さらにその翌週にA病院と提携している大学病院を受診し、頭頸部癌専門の教授にA病院で執刀していただけることになりました。A病院は自宅から一駅で新しく建ったとこだったので本当にうれしかったです。その後、大学病院で改めてMRIを撮ったり、手術日が1ヶ月後に決まったりと、何もかもが円滑に進みました。もし、あの夜に救急外来に行かずに、別の病院だったり、近所の耳鼻科の診療所に行ってたらと考えると、もっと遠回りになってたのかなと今では思います。ー手術後ー結果的に、原発部位の右顎下腺と転移があったリンパを摘出しました。私は幸いにも、顔面神経を全て残した状態で手術が成功しました。影響があるところをあげるとすれば、術中に下唇の神経に触れないといけなかったようで、術後しばらくはしっかり麻痺し、「いーうー」と言った時にかなり左右差が出ていました。それよりも辛かったのは、ドレーンに繋がれた生活でした。通常ならば4〜5日も経てばドレーンを抜くことができると聞いていました。私もそれを信じていたのですが、2日目以降出血量は減ることはなく、抜く日はどんどん先延ばしになり、1週間以上はかかるかもしれないと言われていました。首にある違和感と痛み、ドレーンがあるからシャワーに入れず、どんどんボロボロになる私。口元も歪んでいて、鏡に映る自分を見るたびに精神的に参っていきました。しかも、コロナ禍のため面会禁止で誰とも会えず、孤独でした。5日目の朝の診察でドレーンを抜くのはもう数日先と言われて、病室でぽろぽろ泣いていた時に、再び処置室に呼ばれました。朝診察担当の先生から「出血量が減らないから、今度は感染症のリスクが疑われるようになります。今になって顔が腫れてきてしまっているのが合図です。早く治すためには、ドレーンを外して、代わりに傷口を少し開けてガーゼを詰めて、無理やり血を出します。まれにあなたみたいな方がいらっしゃるんです。主治医にも許可を取ったので早速始めましょう。」と言われました。局部麻酔をしてもらい、突然15分ほどのプチ手術が始まりました。正直、私の首に何をされたのか、されるがままだったので、よくわかっていませんでした。ただ、何か特殊なケースだったために、偶然にもドレーンを抜くことができたということが私にとっては大切でした。ドレーンを抜く時は痛かったです。思わずうめき声を出してしまいました。しかし、処置をしてもらったあとは、とても気分がよかったです。ドレーンがないだけでこんなにも生きるのが楽なのかと驚きました。代わりに傷口からガーゼを入れて、その上からガーゼで止血する方法になりました。若干テープで引っ張られている感覚はありましたが、あまり気にはなりませんでした。この方法に変えたことによって、1日でかなり状態がよくなりました。3日間毎朝、首の中を洗浄していただいて、やっときれいになり、傷口をもう一度縫って、ようやく退院できることになりました。今回の手術はスタートにすぎず、これから5年間が勝負だと宣告されています。しばらくは、転移と再発に怯えながら生活することになるとは思いますが、時間がある限り、自分の人生を豊かなものにしようと思いました。

活動停滞中

チームリーダー(代表)のHama(はま)よりご挨拶を申し上げます。大変申し訳ございませんが、現在TEAM ACCは活動停滞中です。肺多発転移の影響により体力低下が進み活動に大きく影響を及ぼしていることがその要因です。 今まではいかなる事案に対しても全力で取り組んで参りましたが現状は体力・体調を考慮しながらの活動となっています。 チームリーダーが能力を発揮出来なくなった段階でTEAM ACCは活動停止となります。 いつまで活動するかを明言することは控えておきますが残念ながら遠くない未来にその日は来ることでしょう。 5年前の結成当時は希少がんである腺様嚢胞がん(ACC)はほとんど情報が無い状態でしたが、このチームの活動をキッカケに少しずつ情報が集まり始め、頭頸部がんセミナーでも取り上げられたり、仲間たちの活動がテレビ・ラジオ・新聞などのメディアでも紹介され、腺様嚢胞がんは少しずつ認知され始めました。少しかも知れませんがTEAM ACCはしっかりと爪痕を残すことができたと感じています。 仲間の存在が自分の生きるモチベーションとなり強い気持ちで結ばれているTEAM ACC、もちろん永遠にこのチームを牽引していきたいのですがチームリーダーの身体も肺転移には勝てません。メンバーの皆さんには大変申し訳ないのですが、どうかチームリーダーの気持ちをご理解いただきたい、そう思っています。今すぐにどうなるワケではありませんが、事前の覚悟はきっと強い味方になってくれると思います。 これからもTEAM ACC、そしてチームリーダーをよろしくお願いします。

ACC体験記 FILE041=Tsutomuさん

<ニックネーム>   Tsutomu<性 別>      男性<住まい>      千葉県<原発部位>     耳下腺<STAGE>      Ⅱ → 再発、神経浸潤<罹患年齢>     50歳<体験記>【病院受診までの経緯】2016年頃から左耳の後ろ辺りにぷくっとふくらみがあることが気になり始めました。インターネットで調べると粉瘤などの場合が多いような記載が多くしばらく様子を見ていました。2017年春頃にしこりが大きくなっているような気がして、気になり病院を受診しようと思いました。インターネット上の記事に稀に重篤な疾患(悪性腫瘍など)の可能性の記載があり気になりました。しかし、日頃から医者に掛かる必要の無い健康体だったので、どの病院に行くべきか全くわからず、まず形成外科に行きましたが全く理由がわからず、次に近所の耳鼻科を受診して初めて、大きい病院に行ってくださいということなりました。【病院受診から治療まで】2017年8月下旬最寄りの大学病院の耳鼻科を受診。良性の耳下腺腫瘍だろうとのことでいきなり細胞診される。2017年9月上旬細胞診の結果、5段階の3で悪性の可能性ありの診断。追加でCT検査を実施。2017年9月中旬細胞診とCTの結果では良性悪性の判断つかないということで、頭頸外科の先生による再度細胞診を受けることに。2017年9月下旬細胞診の結果、5段階の2で恐らく良性だろうとのこと。 手術で取り除くことが決定。腫瘍径約2.7cm。2017年10月中旬入院、手術。 手術の時間は4時間くらいで、腫瘍の摘出、リンパ節郭清なし、顔面神経は温存しましたが、顔面麻痺となりました。家族は手術の説明の際に腫瘍を見せられながら悪性の可能性があると伝えられたようです。2017年10月下旬退院。その後の診察で摘出した腫瘍の細胞は悪性で腺様嚢胞癌の宣告を受けました。 転移無しのステージ2、篩状型(Cribriform pattern)。断端陽性ではあるものの取り切れていると思うとのコメントがありました。 断端陽性であり次の選択肢としては2つありどうするかの判断を委ねられました。・そのまま経過を見る・放射線治療を追加する また腺様嚢胞癌は放射線が有効なエビデンスが無いこと、放射線をあててしまうと皮膚が固くなり再発時の手術が難しくなることの説明がありました。 判断できない為、セカンドオピニオンを依頼し、東京女子医大と築地の国立がん研究センターへ行くことにしました。2017年11月中旬セカンドオピニオンでは、2か所とも腺様嚢胞癌の断端陽性の場合は追加治療として放射線治療を行うとのことでしたので放射線治療を追加することを決めました。2017年12月上旬60Gryの放射線治療が始まりました。平日5日間通院、2日休むを約6週間行いました。 私の場合副作用として味覚障害や口内炎は発生せず、照射部分の頭髪が抜けた、皮膚がかさぶたのようになったくらいでした。 その他いつも以上に食欲が沸く、眠くなるなどが生じましたが細胞を再生していたからでしょうか。それ以降、1年間は3か月に1度のCTと経過観察、1年経った後は半年毎のCTと3か月毎の経過観察でした。【QOLについて】問題としては、左顔面麻痺が半年以上続きました。神経は1日1㎜くらいしか繋がらないらしいです。当初は1日でも早く動くようになるように、動かす練習をし始めたのですが、無理に動かそうとすると本来繋がるべき神経とは違う神経が筋肉を掴んでしまう可能性があり(例えば口を動かすと眉毛も動くなど)、動くようになるまでは無理をしない方が良いそうです。顔面麻痺による主な不都合は下記になります。● 瞼が完全に閉じない・目の渇き・洗顔、先発時に石鹸水がしみる● 唇が動かない・口を大きく開けると内側の歯の部分は開くが唇が動かない為、唇も一緒に噛んでしまう・麺類などを食べる場合は熱いものは食べられない、唇が汚れ食べ方が汚くなる・口をゆすぐと水がこぼれる・半濁音が発音難しい最大の難敵は目の渇きへの対応でした。11月頃から仕事へ復帰してたのですが、ある日常に目の中にゴミが入っているような感覚となり眼科を受診したところ、瞳に渇きによる傷ができていると言われました。点眼薬と目に塗る軟膏が処方され、寝る時には目を覆うフィルムを貼って寝るように指導されました。昼間目に軟膏を塗ってしまうと、ぼやけて見えてしまうので、ほぼ右目だけで生活する状況となってしまい、ひどい肩こりなどの症状に現れてしまいました。目の渇きへの対応は瞬きができるようになるまでの4か月くらいは結構大変でした。顔面麻痺が治まってからは、麺類を食べ歩きしたことは言うまでもありません。 【再発発覚から現在まで】3か月毎の検診と半年毎のCTの経過観察を行い特に異常無しだったのですが、2021年3月上旬に眉毛の動きが悪くなっていることに気づき、その後顔面麻痺の症状がぶり返して来た状況になり、予定を早めて病院の診察を受けることにしました。以下、経緯の説明になります。2021年3月下旬顔面麻痺が始まったことを告げると先生の顔色が変わり、再発の可能性が高いとなり再度CTとMRIで調べることになりました。2021年4月上旬CTでは相変わらず画像確認できず、MRI画像で唯一1枚にそれらしき腫瘍が確認できました。 1cm程度の大きさだと画像診断は難しいようです。場所は摘出した耳下腺から頭部への入り口側のところになります。 2021年4月下旬画像のみでは再発かの確定判定は難しく、細胞診するには大きさが小さい為、1泊入院してCTガイド下細胞診を実施しました。 これは、CT画像を見ながら細胞診を行う方法で、今回はがん細胞を確認でき、腺様嚢胞癌の再発が確定しました。2021年5月下旬摘出手術 (病室に戻るまで10時間くらい掛かりました) 左乳突洞削開術、顔面神経摘出(術中迅速診断で陰性確認まで)、神経再建手術を実施。 耳の機能を残してできるだけ摘出したそうです。2021年7月現在術後1か月が過ぎ患部の腫れも概ね落ち着き、耳の聞こえも概ね戻ってきました。 左目の調子が日々変わる不自由はありますが在宅での仕事にも復帰し、ほぼ従来通りの生活を送っています。腺様嚢胞癌は、術前の細胞診での判定が難しいようで、私の場合も最初の手術前の細胞診で腺様嚢胞癌と分かっていれば手術の内容も異なり、再発を防ぐこともできた可能性がありますので、その点はとても残念に思います。【今後について】顔面麻痺については経験済ですがやはり左目のケアには悪戦苦闘しています。神経再建の場合は動くようになるまで1年くらい掛かること、顔面麻痺がでてしまってからの再建だと50%くらいしか戻らない場合が多いとのことでした。毎日顔のマッサージをして気長に付き合っていきたいと思います。また、過去の論文を見ると再発、神経浸潤の場合は再発、遠隔転移の可能性が高いようなので、食事や生活習慣などの見直しの情報を収集し、できる限りのことは取り組んで行きたいと思います。

ACC体験記 FILE040=くうちゃん

<ニックネーム>   くうちゃん<性 別>      女 性<住まい>      北海道<原発部位>     舌下腺<STAGE>       Ⅳ<罹患年齢>     55歳<体験記>2016年5月末左側顎あたりにデキモノの様なグリグリしたものに気付き、触っていると痛みが出て腫れてきました。口も少しずつ開けづらくなり、口の中を見ると左側の奥歯の奥に穴が見え白いモノが、、、綿棒でさわってニオイを嗅ぐとクサイ!直ぐに歯科医院に予約を入れました。2016年6月初めの土曜日…歯科医院を受診すると、早急に大きな病院を受診する様にと紹介状を渡されました。「早めに!」と念をおされましたことが気になります。翌週の月曜日…以前、顎関節症で受診した大きな病院ではなく、ドライマウスと味覚障害で受診した前述と違う大きな病院でもない、現在の病院を受診しました。細胞診の結果は、5段階の3B(AかBはグレーゾーン)という診断。後日…2週間の検査入院の結果、悪性腫瘍=癌であることが確定し、退院後TS-1の服用が始まりました。TS-1とは口から服用する抗がん剤の一種で、点滴で投与するのではなく口から錠剤を服用するタイプの抗がん剤です。2016年7月15日久しぶりに始めた仕事でしたが2ヶ月半で退職(実質2ヶ月)しました。2016年7月16日腫瘍の摘出手術を受けるために入院しました。2016年7月22日摘出手術/約12時間かかりました。口底悪性腫瘍手術、頸部郭清術と共に遊離皮弁前腕皮弁術による同時再建手術を受けました。2016年8月22日退院2016年9月24日術後の診察で悪性腫瘍が「腺様嚢胞癌(ACC)」であることが判明。診断にかなりの時間を要したカタチになりました。「今後のために」と言う事で化学療法をすすめられ受けることを決断。2016年9月26日化学療法のために再入院し、放射線治療・抗がん剤治療が始まりました。口内炎、頭痛、発熱、嘔吐、下痢、痛み、脱毛、眠気、意識障害、しゃっくり、、、などなど、どれもこれも副作用なのか?多くの症状に悩まされました。2016年11月22日3回目の抗がん剤の日は、56歳の誕生日でした。2016年12月11日すべての治療が終了し退院しました。1年半後 2018年6月手術跡の傷のケロイドがひどく、何度か医師に伝えていた事もあり改めて診てもらった結果、左腕の傷は縫い直しをすることに。また、右太ももの皮膚を左腕に貼りつけてあり、太ももの部分に強い痒みがあったため注射を数回打ちました。この春で通院は終了するも。痒みは時々ある状態です。2018年11月手術で削った顎の骨が折れました、今も折れたままです。この時の検査により「肺と膵臓に気になる箇所があります」と指摘され、各科を受診することに。それ以来毎年CT・MRIで経過をみています(結果的に骨折して良かったかも?)。現 在(2021年6月)年2回、検査のため受診しています。自宅からバスを2回乗り継ぎ継ぎ、片道約3時間かけての通院です。今のところ、1人で通院出来ていますが、先のことはその時に考えようと思います。43歳の時に1度目の癌を経験し、55歳の時に2度目の癌を経験。左側の下の歯はないけれど…おしゃべり しづらいけれど…食事がしづらく食べたいものが食べられなくなったけれど…顎の骨は折れたままだけれど…肺の影は遠隔転移で毎年少しずつ大きくなっているけれど…それなりに、どうにか、毎日過ごしています。 近くにいる人、遠く離れていても近い仲間。いろんな人のお陰で、生きていられています。 5年前(2016年)の今頃(6月)、違和感を感じて病院に通い始めました。その時は手術後の生活がこんなにも変わる人生の始まりになるとは全く想像していませんでした。<おまけ>「家の中に閉じこもってはいけない」と、言う事で、イトコがよく外に連れ出してくれました。食事の際にイトコに言われたことがあります。「ため息つくのをやめなさい」、、、自分では無意識でした。自分が側でため息をつかれたら嫌だよな、と気づかされました。ついつい出てしまうため息。だから、ため息に勝手にメロディーをつけました、声に出して歌います。はぁ⤵ ♪っはっはは〜⤴。 ふぅ⤵ ♪っっふふふ〜ん、などと毎回違ったメロディーで歌っていましたが、作曲活動に疲れたのか、徐々に言わなくなっていきました。今まで出来ていた事が出来ない。「結構毎日大変なんだよね⤵」なんてついつい弱音を吐くと、「もっと大変な人はたくさんいるよ!」確かにそうだよね、納得です。イトコのコトバで、自分に"喝"を入れ、頑張れた気がします。『ありがとうイトコちゃん』 『頑張れ私!!』2021年6月UP

ACC体験記 FILE039=ケセラセラさん

<原発部位>    左鼻腔<ニックネーム>  ケセラセラ<性別>      女性<住まい>     長崎県<罹患年齢>    48歳(2021.3 現在58歳)<体験記>2010.8月花粉症の時期を過ぎても治らない鼻づまりが気になり近所の耳鼻科を受診しました。鼻腔内にポリープが有ると診断され総合病院を紹介され、総合病院で検査を受けた結果ポリープの奥に腫瘍が見つかりました。生検の結果「腺様嚢胞癌」と診断されました。2010.9月手術により鼻腔内の腫瘍を摘出。その後、3ヶ月~半年間隔でのCT/MRIによる経過観察の日々を7年余り過ごしました。~手術から7年半~2018.3月医師からも経過観察を終了しましょうかと提案され始めた頃、左上顎骨に腺様嚢胞癌が再発し、右腸骨にも遠隔転移の疑いが有ると診断されました。再発迄の長い経過観察の間、主治医から腺様嚢胞癌は再発すると治療のエビデンスがないと何度も聞かされていました。癌が再発して、遠隔転移もある中で術後に希望が持てずなかなか手術の決心がつきませんでした(思い返せばこの時期が一番辛かったと感じています)。2018.12月左上顎骨に再発した癌を左上顎骨ごと摘出し同時に左足から筋肉と血管を移植する形成再建手術を受けました(手術時間12時間の大きな手術となりました)。2019.5月約半年後、今度は左肺に転移。診断も兼ねた摘出手術を受けました。2019.8月続いて右肺に転移。この時も診断も兼ねた摘出手術を受けました。2020.4月そして、両肺に多発性転移し、経過観察となりました。2021.2月更に左眼窩に癌が再発し、放射線治療を予定しています。現在今は、今日一日を家族の為に生きています。明日の事は何も分かりませんが手術を悩んでいた頃の自分より遥かに前向きに生きています。毎日前向きになれるわけではありませんが、悩んでいる時間が勿体ないと思えるようになりました。これもHamaさんをはじめACCのメンバーの皆さんの体験を知る事ができたからだと思います。感謝しています。2021.3月UP

希少がん啓発月間