ACC体験記 FILE032=Yunoさん
『自己紹介』
東京生まれ。幼稚園から埼玉県ふじみ野市で過ごし、東京で勤務、結婚後数年して田舎暮らしを選び、実父の故郷の長野県に実の両親や夫と子供と移転。長男は埼玉県で出産、次男は長野県で出産し、下の子が保育園に上がった頃から子育てしながら介護福祉士(病院でリハビリ助手)の仕事をフルタイムで勤務していた。数年後顎の痛みのため受診してから長い戦いが始まり今に至る。
※発症から今までの病歴が長いため主たる部分を抜粋して体験記にまとめた。
【原発部位】右顎下線(唾液腺)
【STAGE】不明
【ニックネーム】Yuno
【ブログ】顎下線癌★めげずに七転八起
【性別】女性
【年齢】54歳
【罹患年齢】45歳
※2010年、発覚した時に先生にもう10年以上前に出来たものだと診断
【居住地】長野県
【治療】
2010年2月 顎下線腫瘍切除
2010年4月 頸部郭清術
2010年6月~7月 放射線治療
2011年5月 形成手術(顎)
2016年6月 転移性肝癌手術
2016年8月 転移性肺癌手術
2018年9月 転移性肝癌手術
2019年1月 転移性肺癌手術
2010年1月 初診
以前から感じていた右顎の痛みは疲れからの親しらずの神経の痛みだと思い、忙しさもあり受診していなかった。そのうちコリコリとしたシコリを感じて、痛みも右顎から耳にかけビリビリと強くなり近くの個人の口腔外科を受診。
医者は大きな総合病院に受診したほうが言いとすぐ紹介状を書いてくれた。
翌日、地元の総合病院の口腔外科を受診。
レントゲンやCTなどの検査の上、ほぼ良性でしょうと言うことで安心した。唾石症?かもしれないとはっきりしなかった。痛みもあるため翌月手術することになった。
同年2月 腫瘍切除
オペで腫瘍を切除した。腫瘍は顎下線、唾液線のところにあり、かなり大きく5cmぐらいの大きさだった。綺麗な形で悪性ではないと思うと先生は言っていた。このオペはそんな大がかりでなかった。まだ気楽でいたと思う。
6日入院。
退院後はすぐに復帰して仕事を始めた。唇が歪んでしまい笑うと上手く動かず悩んだが、先生にはだんだん良くなると言われた。
一応、腫瘍を病理検査に出したが、いっこうに結果が出ない。しびれを切らして何度か病院に電話をしたが、その度まだ結果は出てこないと言われ不安を覚えた。
1ヶ月近く経った頃、残業の会議中に携帯が鳴り、今回の病理検査の結果は悪性で、周りの組織にも転移(浸潤)があるとの事。もうその時は頭が真っ白、顔色は真っ青で、職場に何か言い訳をして飛び出して帰ったと思う。先生の「悪性」という言葉が頭の中でコダマしていた。
翌日、口腔外科の主治医に腺様嚢胞癌という希少癌で顎下線(唾液腺癌)の癌だと告知された。再度オペで頸部郭清術を実施すると言われた。東京の大きな大学病院から週に1度来ている耳鼻科の先生に担当が変わると言われた。
そして耳鼻科の先生の説明を受けた。おそらくこの癌は出来てから10年は経っていると告げられた。確かにかなり昔から時々チクチク痛んでいたが、まさかこんなことになるとは夢にも思わなかった。
大きな手術になり右顔の神経など失う事などを告げられた。右肩も90℃より上には上がらなくなるとのこと。
この時はショックで泣いてしまい、受診時間も長くなって後の患者さんに迷惑をかけたと思う。
同年4月
頸部郭清術(けいぶかくせいじゅつ)
右顎から首にかけての組織、リンパ節、静脈などごっそりととる手術を行った。
オペ前はやっぱり怖かった。術後自分がどうなっているのか・・・。
もう身をゆだねて先生に任せるしかないと、まな板の鯉になっていたと思う。
オペ後、やはり右顎から首にかけて組織が切除されて、かなり顎の左右差が目立ち、耳の後ろから顎下まで大きな傷跡。
マーキングなどもまだ残っていて、鏡を見てその変貌に現実を突きつけられ、胸が締めつけられ、涙が止まらなかった。ナースが何も言わず背中をずっとさすってくれた。感謝です。
大変だったが、経過も良く18日間入院後、退院。
やはり右顔面や特に唇、顎のあたりの麻痺や歪みは出てしまった。
右頭部から首にかけて神経がパニックを起こし強い電流が流れている感覚があり辛かった。
50日間休職し、右肩の不自由さ(肩より上に上がらない)も残る中、仕事復帰する。
放射線治療 開始
同年6月~7月
放射線科の先生と相談し、右顎から頸部に再発防止に放射線、全66Gy=33回照射。
午前中、放射線をして午後は仕事をしていた。
右口腔内は放射線やオペの影響もあり、右舌も味覚障害や麻痺で感覚がなかった。
舌の下に何か食べ物が残っていても感覚がなく、わらない。嚥下障害もあり。気を付けないと飲み込みづらさや咽せが起きる。
口内中、口内炎ができたので、どろどろのミキサー食を流し込んでいた。
右首や耳あたりもビリビリした痛みのような痺れがある上、感覚鈍麻など残っている。
髪の毛も右下あたりは抜け落ちたが上部に生えている毛でカバーできた。
放射線治療の後遺症はしばらく続きガーン、ガーンというようなひどい頭痛のようななんとも言えない衝撃が続いた。
この時はかなり体型がスリムになった。
放射線治療の前は口腔外科の先生に、右下の埋まっている親知らずの切開をすすめられ日帰りで大変な思いで親知らずを抜いた。埋まってる歯の上に生えている奥歯も一本抜かれた。放射線をあてた場所は将来インプラントとか治療ができないので先に抜いてしまうらしい。尚一度照射したところに2度は放射線は出来ないとの説明も受けた。
それから1年間は経過観察で口腔外科と耳鼻科に通った。
顔面の変貌や今後どれぐらい生きられるか心配で精神的にも落ち込み心療内科で安定剤もいただいた。顎の左右差と顎の痙攣、窪みなどでマスクを外せなかった。
職場でお弁当を食べる時と、水を飲む時だけそっと外していた。
仕事の時はスタッフや利用者様に心配をかけないよう普通を装っていた。声だけは明るく出そうと努力するが、舌も上手く回らず、上手くしゃべれない。
2011年5月 形成手術
オペから1年経ち顎の左右差を治したくて、自分でネット検索し、東大病院の形成外科を主治医に紹介して頂いた(主治医に1年後形成手術してもいいと言われていた)。
オペしていない左の顎の脂肪吸引とリフトアップの形成手術をして、正面から見た顎の左右差はなんとか良くなった。術後マーキングや顔の腫れを見て驚く。
4日入院。
唇の歪みや顎の窪みに対してもボトックス注射が有効ということで、東大病院に3ヶ月に1度注射をしてもらいに数度通った。顎中央に窪みができ、まるで赤ちゃんの頭頂部が塞がれる前のように顎がピクピクと痙攣がおきて気持ち悪かったのだ。
ボトックス注射のおかげで顎の窪みは痙攣も窪みも改善され、唇の歪みも麻痺のないほうも注射して左右差がなくなるように調整していただいた。
ボトックス注射は数回、東大病院形成外科まで通っていたが、遠方で交通費もかかるため地元の神経内科で行うことになった。いずれも健康保険内でできた(健康保険でも高額)。
現在は中断している。
それから6年は、定期検診のCT、PET-CTなどでは何も見つからずにきていたのでこのまま年寄りになるまで何もなければいいなぁと思っていたのだが、、、
2016年4月 遠隔転移
同年6月肝腫瘍オペ
無症状だったが定期検診で2cmの腫瘍がみつかる。肝臓を左半分切除する。傷は胸中央から下に向かい縦に切り、おへその上から横に大きく切除。逆L型。
痛みは筋肉も切るので術後、お産の如く激痛、背中にモルヒネのチューブを入れていても
効かないので更に強い痛み止めを切れるたびに追加で点滴から入れてもらっていた。
2週間の入院。退院後まるでお腹に大きな石がごろごろ沢山入っているような違和感と痛みが続いた。
台風などお天気が変わる前は酷く傷んだ。
同年8月肺腫瘍オペ
4月の定期検診で右肺にも1cmの腫瘍が同時に見つかり取り除くため胸腔鏡で手術実施。
お腹の痛みに比べれば楽な手術だと思うが、肋骨、背中のズキズキとした痛みや咳、たんなどはしばらく苦しく、入院中は吸入などを1日4~5回実施していた。
6日入院。
転移はやはりショックだが、できた腫瘍に対しては切除が一番といわれ、とにかく乗り越えないとと思い頑張った。
上記の2016年の再発で肺転移、肝転移の際は職場を7ヶ月休職。
2017年1月から職場復帰。
再発
2017年8月 お腹の痛みを感じCTを撮ると2cmの腫瘍が再び肝臓にみつかる。
この時、消化器内科の担当医の予約がどうしても取れず同じ系列病院の場所が違う初めての先生を受診。
オペを勧められたが、1年で再発とは、とにかくショックで違う先生の意見も聞いてみたかった。
セカンドオピニオン
2017年9月
また新たに腫瘍が出来てしまい、一度東京の希少がん専門の先生の話が聞きたくて
耳鼻科の主治医に紹介状を書いてもらい、国立がん研究センター中央病院の頭頸部外科の吉本先生の受診をさせていただいた。
吉本先生はとても穏やかでいい先生だった。腺様嚢胞癌の特徴も紙に書きながら説明して下さり、進行がゆっくりの癌なので、もう少し様子をみて定期検診はしっかりしてくださいとの事。
またここで治療がしたいと思ったらいつでも来てくださいと言ってくださった。
旅行とかしたらどうですか? と言われたがどう受け止めていいのか? もう余命はわずかだから今のうちに楽しんだほうがいいということなのか? 考えないようにした。
2018年10月の吉本先生のセミナーも行きたかったが、応募もしてなく、どちらにせよ残念ながら後に行うオペ後で行けなかった(セミナーの動画をみさせていただき誠にありがとうございます)。
2018年9月 肝癌再発オペ
肺転移、肝転移がPET-CTで1つずつ見つかり、遠隔転移の再発。
肺は5mmぐらいだったが、肝臓は去年から2cmから5cmぐらいに一気に大きくなっていた。
これをとらなければ肝不全であと1年で亡くなります。とはっきりと告げられたためオペを決意。
右肝臓半分切除。前回と同じところを大きく逆L字に切り、HCUでは2日間痛くてずっと叫んでいた。痛い~助けて~と叫ばずにいられない痛み!
前回と同じ、もうオペから翌々日には歩行訓練。
12日間入院。
2019年1月8日 肺がん再発オペ
右肺の胸腔鏡にて腫瘍のオペ。マッチ棒の先(5mm)ほどの腫瘍が切除。
HCUの1日間はかなり辛かったが、オペから翌々日はいろいろな管も抜けて楽だった。
6日間入院。
先日2019年1月15日に消化器外科、肝臓の先生を受診したが、9年前に顎の癌が飛んだものが出てきて、見えてたものをこれだけ摘んだから僕の考えではもう出てこないだろう。
もう僕には会わないように。療養期間後、仕事も始めていいとのこと。
一瞬でも先生の言葉は光に感じる。
でも、自分の体は何度も何度もオペをして痛いところだらけで実際ボロボロだと思う。
仕事内容の事もあり、無理できる体じゃないんですよ。先生!! と言いたかった。
2019年1月21日
耳鼻科の主治医の受診、先生に肝臓の先生の話を伝えたが、顔が厳しかったような。
先生は9年も診てくれているから、わかるのでしょうか。しかし余命とかは恐くて聞けない。
経過をみていくしかないのでしょう。今は検査も手術も入院も疲れました・・・。
主人と子供達は私がこんな状態なのに、まだまだ普通に元気だと思ってるらしい。
痛い体にムチ打ちできる範囲で家事をしています?できない時はやらない(笑)長男は優しいので手伝ってくれるが、次男はまだ反抗期が続いている。
昨年(2018年)7月、父も亡くなり本当にいろいろ大変だったが、それに加え認知症で歩行困難で難聴の母親も施設に泊まったり帰ってきたりで大変で、私には現在、兄弟はもういないので母のケアマネと話し合いながら調整していきたい。
世の中には私みたいな人もいると思う。この世代だと親の介護も被ってきますよね。
こんな状況で自分のことが二の次になってしまうので、治療も遠い病院で新しい治療とか思うようにいかず、困窮しています。
こうして書きおこしていると、怒涛のごとく罹患してからの9年間が押し寄せてきました。
今は今を生きているだけで、次のことは考えられません。
しかしながら辛いのは自分だけじゃないと、Hamaさんのブログを見てから思うようになりました。
今出来ること、やるべきこと、楽しめることをできる範囲でやっていきたいと思う。
心は晴れたり曇ったり。
元気になって、遊びに行きたいし、皆様にもお会いしたいです ‼
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