ACC体験記 FILE012=aomiさん
<原発部位>左外耳道
<STAGE>1
<ニックネーム>aomi
<ブログ>無し。
フェイスブックでワーママガンガンジャー記を徒然に書いてます。
はまさんと繋がってます。
<性別>女性
<罹患年齢>31歳
<住まい>埼玉県
<治療>重粒子線(64Gy/16回照射)
<病院>重粒子医科学総合研究所センター病院
東京医大病院
<現在>転移なし。
重粒子病院で3ヶ月に一度造影剤CT,MRIを交互に撮影して定期検査。
重粒子病院は耳鼻科が無いため、耳の不調については東京医大で定期的に診察。
<体験記>
★発覚~治療
2010年頃から、耳かきをしている時にいつも決まった場所で痛みを感じるようになる。でも自分では見えないし、普段は何も感じないので、まぁ何か傷でもできちゃったかな~と思って、ずーっと放置。
その後結婚、妊娠、出産。職場の健康診断も妊娠時の健康診断もずっとA判定の健康優良児。
2015年5月
子供と遊んでいてちょっと手が耳に当たったりするだけで激痛が走るようになる。そろそろ2人目も欲しいと考えていて、妊娠したらまた薬とか飲めなくなるし、一度病院行ってみるか~と思い、近所の耳鼻科へ。とりあえず化膿止めを出される。飲み終わっても痛みは改善されないまま、仕事と育児に日々忙殺されまたしばらく放置。
2015年7月
やっぱりどうも痛いと思い、再度病院へ。少し腫れが大きくなっている気がすると言われ、近くの総合病院へ紹介状をいただく。
2015年8月
近くの総合病院へ。CTで外耳道に腫瘍発見。まぁ良性っぽいねと言われつつ、生検のため部分麻酔で腫瘍を一部採取。麻酔が全然効いておらずあまりの激痛で思わず診察室で泣き叫ぶ。2週間後、生検の結果を聞きに行ったところ、採取できた量が少なすぎて分からなかったとのこと。あんな痛い思いしたのに…(T_T)
2015年9月
入院して全身麻酔で生検手術。良性と信じて疑わず、何度も治療する時間も無いので、生検用ではなく腫瘍全部取っちゃってくださいね!と先生に依頼。人生初入院(出産以外)。手術のことより、3歳になったばかりの娘と離れる方が心配で心配でたまらなかったです。
2週間後、腫瘍の結果を聞きに行くも、はっきり判断ができないので都内の大学病院へ紹介状を持って行ってと言われる。この時点で、あれ、良性ってそんなすぐ分からないの?とやや不安になる。(実は主人は手術後すぐに、もしかして悪性かもしれないと言われていたらしいです。ハッキリするまで私には内緒にしていたようです)
2015年10月
大学病院に行ったところ、「癌が疑われてるみたいだね~一度預かって調べますね~」と軽く言われる。え?癌?まったく想定しておらず、急に心臓がバクバクし始める。家系に癌患者は1人もおらず、”2人に1人が癌になる”と言われても自分はならない方の1人だと思い込んで生きてきたので、まさに青天の霹靂。
さらに2週間後結果を聞きに行ったところ、腺様嚢胞癌との告知。手術をしてから1ヶ月後のことでした。
その後造影剤CT,MRI,PETを行い、転移なしのステージⅠとの診断。残存腫瘍の治療法として、手術で外耳道を広範囲に摘出するか、重粒子線治療か、二択を提示される。迷いに迷った末、東京医大からお薦めされた重粒子線治療に決める。なんとなくこの歳で頭頸部にメスを入れることが怖かったのと、聴力を残せる可能性の高さの比較で決めました。たまたま加入していた保険で先進医療特約もつけていて、320万円の治療費全額保証だったことも安心材料だったかも。
2015年11月下旬~12月
娘の七五三詣、仕事の引継ぎなど猛烈に忙しい日々を過ごし、11月下旬から重粒子線治療開始。本当は治療開始と同時に入院するよう言われるも、少しでも子供と離れたくない一心で最初の1週間だけ気合で片道2時間電車に揺られて通院。入院後も週末に外泊許可が出る度に一時帰宅してました。入院中は副反応はあまりなかったのですが、退院してから耳だれがひどく耳がすぐ詰まったり、目眩、耳鳴りに苦しみました。
★治療後~現在
治療の後遺症による耳だれはまだ続いています。痛みも続いていて、痛み止めを毎日飲んでいます。顎関節も痛くて口が開けづらく、顎の体操を毎日しています。それ以外は食事は以前と変わらないですし見た目も全く分かりません。耳周りの脱毛は3ヶ月くらいして元通りになりました。痛みも1年位すれば落ち着くはずと言うお医者さんの言葉を信じて、ひたすら時間が解決してくれるのを待つばかりです。
2月から仕事復帰しましたが、ちょっと無理すると目眩や耳痛が酷くなるので、アクセルの踏み加減を探り探りの日々です。治療中はファイティングポーズを取っていられましたが、治療終わって社会復帰してからの方が、病気前の自分と比べてしまって精神的にしんどいことが多く感じています。
癌になったことは本当にショックでしたが、主人と3歳の娘と助け合い支えあう日々に、家族の絆は強まった気がします。
子供が産まれてからは、家事育児仕事に日々追われて、自分のことは全て後回しにしてきていましたが、ママこそ元気でいないと家族は回らないので、働き盛り・頑張り盛りのこの年代の女性こそ身体をケアしてほしいと思います。
私の癌治療をきっかけに、主人もタバコを止めました。よく無病息災といいますが、病気になったおかげで今後健康管理には一層気を付けるようになると思います。そういう意味では、「一病息災」かもしれませんね。
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