ACC体験記 FILE009=ともっぺさん
<原発部位>気管
<STAGE>先生から分からないと言われました。
<ニックネーム>ともっぺ
<性別>女性
<罹患年齢>36歳
<住まい>埼玉
<治療>2016年3月~4月 気管切開手術→検査→告知(某大学病院)
6月~7月 陽子線治療(国立がんセンター東病院)
<病院>国立がんセンター東病院
<現状>経過観察。3ヵ月に1度CT。時々、カニューレ交換。
まだ腫瘍はあるが小さくなってきている。
転移はなし。
<体験記>
2014年秋~2016年 1月。
2014年の秋ごろ、風邪を引いて咳が止まらなくなる。
近くの病院へ行き、咳止めをもらって様子を見るが、改善されず。
今、思うと異常な咳だった。小さい頃に喘息持ちだったので再発したのかなと思った。痰の検査もしたが、異常無し。レントゲン撮っても、異常なし。近くの病院を転々としていた。
咳は、治っては、酷くなりをずっと、繰り返していた。
おかしいと思っていても、原因が分からずイライラが募っていた。
2016年 2月。
インフルエンザにかかる。咳も酷くなる。
2016年 3月。
咳が全く良くならない。
咳止めの薬をもらったり、 喘息用の吸入の薬をもらい、服用しても良くならない。違う病院に行く事になった。その病院で、肺炎になってることが判明した。肺炎は、良くなってきたが、咳がだらだらと続いていたので、CTを撮ることになった。
咳の原因が多分、これだろうと先生に言われた。
写真を見ると、気管のところに、こぶみたいのがあった。
この時は、ただの炎症だろうと思っていた。この病院では気管支鏡検査が出来ないので、 次の日、紹介状を持って、さっそく1人で某大学病院に行った。
初診ということもあり、凄く時間がかかった。先生は、CTを見てとても驚いていた。気管がとても狭くなっていて、 大変危険だと言っていた。痰が詰まると死ぬ可能性もあると。私も驚いていた。
そして、入院になった。先生と旦那と相談して、気道確保のため、次の日に気管切開手術を受けた。 その後、気管支鏡検査を行い結果へ。結果が出るまで、一週間ちょっとかかった。
結果が出るまでは、癌の可能性は、低いと言われ、安心していた。
2016年 4月。
告知。
まさか、癌だとは思わず、ただあの腫瘍は何者なんだろうと思っていた。
名前が呼ばれ、診察室に入る。周りの医師や看護師さん達は、表情が固く重苦しい感じが漂っていた。 入って、席に着くと直ぐに、結果からまず話しますと。。。
「気管癌です」と言われ、目が点になった。
すぐに、状況が飲み込むことが出来ず、癌という言葉に頭が真っ白になった。
えっ、私死んじゃうのって思って、涙が溢れてきた。
しかも、全摘の手術しか方法が無いと。。。
声を失いますと。。。
つんくさんと、一緒の手術ですと。。。
もう、何が何だか分からない状態で、あまりにも辛い現実を叩き付けられた。
頭がおかしくなりそうだった。
どうしよう。子供もいるし、私、どうなっちゃうのって ずっと、考えていた。
2016年 4月~5月。
旦那は色々と調べてくれ、手術ではなく、温存の方法を探した。
そして、手術ではなく、がんセンターで陽子線治療を受けることにした。
先生は、癌が全部なくなるか分からないと言っていたが、温存するには その方法しかなく、かけることにした。 陽子線治療は、その後、手術も出来るみたいで、それも決めてだった。
万が一、駄目だった場合のことも考えて。。。
2016年 6月~7月。
陽子線治療を受ける。
全部で、32回。70.4グレイ。
平日は、毎日で6週間。
治療が始まって、3週間目ぐらいから、副反応が出始めた。
症状は、照射されてる周辺の赤み。
食事をする時の、飲み込みにくさ。
段々、皮膚はむけて、皮膚が痛くなる。
喉は、痛くなる。
痰の量が増える。
たくさん、むせる。
声が、ほとんどでなくなる。
陽子線終わった今でも、 飲み込みづらさはある。
2016年 8月。
2回、診察のみ。
8月一杯は、副反応が強く出て、しんどかった。
ただ、声は、段々出るようになる。
あと、皮膚がキレイになってきた。
今は、少しだけうっすら黒ずんでるぐらい。
2016年 9月。
CT画像検査。頭頸部外科、診察。
腫瘍が、だいぶ小さくなっていた。
でも、まだ、残っていた。 転移は特になし。 カニューレを1ミリ大きいのに変えた。
次は、レティナへ変える予定。
体調も段々、良くなってきている。
(2016年9月18日現在 治療後経過観察中)
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2016.09.18 04:04