ACC体験記 FILE008=ぐーみんさん

<原発部位>耳下腺(左)

<STAGE>Ⅳ  

<ニックネーム>ぐーみん 

<性別>女性 

<羅患年齢>50歳 

<住まい>長野県 

<治療>2013年6月 手術 

    2013年7月 追加手術 

    2013年7月 放射線治療 

<病院>信州大学医学部附属病院 

<現状>経過観察中  再発、転移なし 

<体験記> 


左耳下腺のしこりに気付いたのは癌発覚から13年前でした。触るとズキッとする痛みは既にありましたが、子供の頃から熱を出すと耳下腺が腫れる事が度々あったので、あまり気にはしていませんでした。 


2012年5月

耳下腺のしこりが前より痛くなったと感じていた頃でした。食事中突然耳下腺に激痛があり、おたふく風邪の様に顔がパンパンに腫れました。かかりつけの内科を受診したところ、唾石の疑いのため何時でも口腔外科のある病院を紹介しますと言われました。 暫くすると腫れも治ってきたので、唾石なら急がなくても大丈夫だろうとそのままにしました。 


2012年9月 

健康診断で血液中のアミラーゼ高値(膵臓か耳下腺に異常)で再検査になりました。唾石のせいだろうと思い再検査には行きませんでした。 


2012年11月 

耳下腺が強く脈打ち、今までと明らかに違う痛みになりました。痛み止めを飲んでも痛くて眠れませんでした。食事の時に痛みはより増している様に感じました。全く食べられなくなってしまい、かかりつけの内科で総合病院の口腔外科を紹介して頂きました。 


2012年12月 

総合病院口腔外科で口腔内レントゲンとCT検査をしたところ唾石ではない事が判明しました。多形性腺腫(良性)の疑いがあると言われ、院内の耳鼻科へ転科。その時は良性と聞いて安心していました。 


2013年1月 

MRI検査結果を見ながら耳鼻科の先生は、何でしょうね…3カ月腫瘍の様子を見ましょう、と言われました。何故様子を見るのだろうと疑問に思いました。3カ月は季節が冬のせいもありとても長く感じました。私の病名は何なのだろうとモヤモヤしていました。 


2013年4月 

再度MRI検査をしましたが腫瘍は3カ月前と変化はしていませんでした。その後詳しく調べるために細胞診検査をし結果を待ちました。 

1週間後、予期せぬ告知でした。 腺様嚢胞癌ですね。このclass4は癌の進行度です。 

…えっ?癌?こんなに簡単に言われるの? 

先生から渡された報告書には確かに腺様嚢胞癌を疑うと書いてありました。4はどんな状態なんですか?そう聞くのが精一杯でした。非常に進行している状態です。難しい手術なので大学病院を紹介します。 

その後の先生の説明は殆ど頭に入りませんでした。 

1週間後PET検査。転移はありませんでした。 


2013年5月 

信州大学医学部附属病院へ転院。再度細胞診検査後、手術が決まりました。 

耳鼻科主治医の先生より丁寧な説明がありました。 

腫瘍はかなり耳下腺の深部にある事。 

細胞診で悪性疑いの腫瘍が摘出後に良性であるケースは稀なため、現時点では悪性腫瘍の腺様嚢胞癌が最も疑われる事。

手術は良性では耳下腺腫瘍の摘出・顔面神経温存。悪性では顔面神経を含めた耳下腺の全摘と頸部郭清術(リンパ節切除)。 良性か悪性かは術中判断(術中迅速診断)で決定する事。手術中麻酔で眠っている私は術中迅速診断の結果を知る事は出来ないため、結果がどちらになっても状況を受け入れる覚悟をして手術に臨む必要がある事。 

顔面神経切除後は顔面麻痺が必ず残るため、形成外科の顔面神経再建手術に移行する事。 

その後放射線治療をする事。 

説明を聞きながら、腺様嚢胞癌の手術は悪性のケース。顔面神経切断になるんだろうと覚悟をしていました。 


形成外科先生より説明  

最初に先生から顔と太腿どちらを優先したいですか?と聞かれました。ランニングが趣味ですがまた走れますか?と聞いてみました。今までと同じは難しいですが、ゆっくりとならいずれは走れますよ。と言われました。悩んだ末、仕事復帰が大前提と考え顔を優先する事に決めました。 

顔面神経切除となった場合には即、血管柄付き大腿神経移植という手術をします。左太腿神経を舌下神経へ移植する事で、顔面神経は3ヶ月後位から段々動き始めます。先生の説明を受け、少しだけ救われた気持ちになりました。私の中で顔が変わってしまう事は癌と同じ位心を重くしていました。 


告知以来、私は病気の事を息子に伝えていました。大学生の息子は私の唯一の家族だからです。ひとりで乗り越える自信が私にはありませんでした。

「治るんだよね…」「まだ死にたくないから頑張るよ」そんな感じでいつも会話していました。口に出して言う事で本当に頑張れると思えました。 


2013年6月 

手術は19時間に及びました。 耳下腺拡大全摘、頸部郭清、再建術。 

ICUで目覚めた時の事はぼんやりとしか覚えていませんが、看護師さんに口をゆすぎましょうと言われ、コップの水が口からダラダラ漏れ顔面麻痺を確信したと思います。手術は終わっても心から喜べませんでした。覚悟はしていましたが、うその様に左顔は全く動かず絶望感しかありませんでした。神経はいつ動き出すのだろうとそればかり考えていました。 

1週間後耳鼻科の先生から病理検査結果の説明がありました。かなりの広範囲で切除はしましたが更に神経浸潤があり追加手術が必要な事。神経も再度縫合になるが、前回繋いだ神経の長さが足りず届かない場合もある事。 

…また術後の辛さを味わうのかと思うと怖くなり、すぐ手術の承諾が出来ませんでした。追加手術をせず放射線治療をすれば後は細胞が硬くなり再手術は出来ません。再発のリスクもあります。わかっていても怖い気持ちが勝っていました。最善の治療法を言われているのだと冷静になれたのは翌日でした。 

その後形成外科の先生が、前向きに検討してくれてありがとう。と病室に来て下さいました。神経が届かなくても再建方法はある事も説明して下さいました。感謝の気持ちでいっぱいになりました。結果はどうなっても乗り越えるしかないと思いました。 

1週間後の追加切除手術は4時間で終わりました。神経も無事に繋がりました。 

後は繋いだ神経が動き出すまでじっと待とうと思いました。鏡はなるべく見ない様にしていました。 


再手術から2週間後 

放射線治療開始。70Gy35回 

1回の治療時間は5分程なので治療自体の負担は感じませんでした。副作用は開始後すぐたくさんの口内炎ができてしまい痛みにオピオイドを使いました。白血球の数値も大変下がり感染予防のためベッドに空気清浄機が設置されました。 

2度の手術の人工呼吸器により喉に肉芽腫ができてしまい、ラリンゴ吸入治療を続けました。 


放射線治療と同時に「退院と仕事復帰」を目標に左太腿リハビリ、言語リハビリ、作業リハビリをして頂きました。3つのリハビリ治療が入院中とても励みになりました。神経を採った左太腿は力が入らず、階段昇降が全く出来ませんでしたが、筋トレで何とか出来る様になりました。口の動かし方や嚥下障害の食事の仕方など、リハビリの先生方は不安な気持ちの私をいつも励まし続けてくれました。 


2013年9月 

放射線治療を終え退院が決まりました。入院から3カ月が経っていました。 

癌になり感謝する気持ちをとても持てる様になりました。癌になる前の私は人に頼る事が苦手でとても勝気でイライラしていました。ですが癌になり沢山の方に助けられ支えられて、心からありがたいと思えました。自分は生まれ変わったのではないかと思う位謙虚な気持ちになりました。助けてもらったら素直にありがとうと思える様になりました。自然に気持ちを言葉で伝える様にもなりました。


2013年10月仕事復帰。 


顔との関わり 

退院後1年半顔のリハビリ通院をしました。顔のマッサージを怠ると筋肉が硬くなり動かなくなってしまうので朝晩欠かさない様にしています。手術痕は神経痛の様な痛みと引きつりがあるので顔と首はヘパリンクリームを塗布し、冷やさない様スカーフを巻いています。緊張すると麻痺を強く感じるのでリラックスを心がけています。 

術後3年が経ち最近ようやく自分の顔と向き合える様になってきました。 

そうなれたのは再建術からお世話になっている形成外科の先生の存在がとても大きいです。私の顔の変化をとても理解して下さっています。北野たけしさんよりいいですよ、と真顔で褒めて下さり(微妙ですが)不調があるとすぐに治療を提案されます。 

口と眼が同時に動いてしまう異常共同運動にボツリヌストキシンを左瞼に局注治療しています。眼の動きを抑える事で顔の疲れと痛みが軽減され、飲食が楽になっています。外食も以前より人目を気にしなくなり、大好きなコーヒー店でも紙コップならばスムーズに飲める様になり、細いストローならば麻痺のない右端から何とか吸える様になりました。 

顔面麻痺からくる眼輪筋の拘縮で、眼を開けようと歯を食い縛り顎関節症になってしまった時にもすぐ対応して下さり、眼瞼下垂の手術をする事で食い縛りがなくなり口が開けられる様になりました。 顔面麻痺は精神的苦痛が大きいので、自分が楽になれるのであれば治療をお願いしています。 


左太腿の動き 

またランニングをしたいと目標を掲げた事もありました。今はゆっくり散歩をし、速歩が出来ればいいと思っています。横断歩道では膝がカクッとなりドキドキする事もあります。駅の階段は人の流れについていくのに必死です。筋トレを続けて将来寝たきりにならない事が今の目標です。 


現在の気持ち 

転移が怖くて何度か癌講演会や語り合いなど参加してみましたが、何か満たされない気持ちでいました。

ハマさんのブログを読む事が唯一の拠り所でした。

どうしても腺様嚢胞癌の方の声が聞きたい!その思いだけで8月私は日本橋へ向かいました。

あの時は自分でも信じられない程パワーがでました。ひとりで電車を乗り継ぎ知らない所へ行くなんて今までの私では考えられない事でした。ハマさんご自身転移という辛い立場にありながら、僕はこんなに元気です!と両手を広げる姿に勇気を頂けました。そしてチームACCを立ち上げ私達を繋いで下さりありがとうございます。本当に感謝の気持ちしかありません。同じ立場の方と気持ちを共有する事で孤独感がなくなった様に思います。 


息子の就職を機に今年の春から私はひとりで暮らす様になりました。ひとりで生活する事はとても不安でした。もし転移したら、何かあったらと考えていましたが、まだ起きていない未来を怖がるより今を穏やかに過ごそうと思える様になれました。

今はひとりの時間も楽しめています。息子に会いに行く事も生きる励みになっているのだと思います。 

TEAM ACC

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1コメント

  • 1000 / 1000

  • はま

    2016.09.15 09:14

    ぐーみんさん、この度は貴重な体験記を投稿くださりありがとうございました。 顔面神経に触れることはその後の恐怖につながりますよね。自分の表情が作れなくなるというのは本当に怖いことだと思います。 術後3年が経過しだいぶ心境も変わったかも知れませんね。外へ出ていく勇気は素晴らしいことです。ぐーみんさんに勇気があったからこそ今があると思います。この後も勇気を持って生きていきましょうね。そして体力をつけて趣味のランニングを楽しめるようになってくださいね。