ACC体験記 FILE005=hiro福さん
<原発部位>耳下腺
<ステージ>Ⅱ
<ニックネーム>hiro福
<性別>女性
<罹患年齢>64歳
<住まい>兵庫県
<治療>2013年10月25日手術
同年11月15日 転移 右頸部リンパ節腫瘍
同年11月25日 放射線治療
<現状>元気です。
<体験記>
発覚から手術
2013年7月、右耳後ろにしこりがあるのに気がつきました。痛みがないので様子をみましたが、1週間後もまだあるのでおできか粉瘤かと思い、よく診て下さる皮膚科に行きました。
先生はしこりを触ると良性の腫瘍だと言われ、検査ができる形成外科か耳鼻科で調べてもらいなさいと紹介状を書いて下さったので通い慣れた関西労災病院に行きました。
7月23日形成外科を受診その日にMRIを撮影して1週間後に結果がでました。
MRIの画像診断は右耳下腺腫瘍adenoma(疑)と言われ8月1日耳鼻科を受診。
耳鼻科の先生はMRI画像と触診で良性の腫瘍なので手術で切除しましょう、と言われましたが何を聞いていいかわからず詳しく聞かないで家で耳下腺腫瘍をネット検索しました。ほとんど場合が良性の腫瘍とあり安心しました。
8月21日、主人と一緒に手術の説明を受け10月25日が手術日に決まりました。
手術まで2カ月あり少し大きくなったようで不安になり耳鼻科を受診しましたが、先生はしこりがぐりぐりしてるから大丈夫だよ。口で「イー」してみてと言われ先生はうなずくだけでした。
帰宅してネットで調べると顔面神経を巻き込んでる場合には顔面神経を切除と書いてあり不安ながら手術日を待ちました
10月25日手術が始まりました。
手術予定時間より早く終わり家族の方に先生からお話しがあると言われ主人と娘が聞きました。
先生は「良性の腫瘍ではなく悪性でした。悪性対応の準備が間に合わず自分の判断で顔面神経切除と広範囲に渡り切除せざるを得ませんでした」と耳下腺がんを宣告されたそうで家族は言葉を失い動揺してしまったそうです。
その事実を私が知ったのは手術の翌朝。主人から聞かされました。
「悪性腫瘍/耳下腺がん」と言うことよりも「顔面神経を切除、喪失した」ことの方がショックでした。
癌と告知され動揺もせず家族の悲しみが心にのし上がるだけで入院中平気だったのが不思議です。
11月1日、退院後すぐ右鎖骨に小さなしこりを見つけ転移を疑いと11月5日に耳鼻科を受診しました。
11月11日PET/CT検査の診断は、右耳下腺癌術後、右鎖骨上の活動性リンパ節転移の可能性でした。
転移したことで11月15日、2度目の手術をしました。癌の事を考える余裕がありませんでした。
手術後放射線治療をすることになり放射線科の先生から説明を受け、初めて自分の癌の細胞種を知りました。
「耳下腺がん/脱分化型腺様嚢胞癌」
名前が覚えられないからと先生はメモして下さいました。
とても厄介な癌だと言われました。
高悪性の癌、抗がん剤もない、血液検査にも出ない、予防として放射線治療。
今後はPET/CT検査で診ていきましょう。
パソコンの画像を出し詳しく説明を受けました。とても頼りになる先生に出会えました。
QOLの低下
放射線治療の副作用として何を食べても味が濃い、酸っぱいなど味覚障害がでました。右頬内側口内炎、右頭部後ろ下半分が脱毛しましたが、今はすべて回復しました。
顔面神経切除により右瞼が完全に閉じないので目を保護するのに目薬、寝る前は、軟膏と角膜保護用テープは、今も必需品です。飲食時にはこめかみから汗が出るフライ症候群があります。
会話すると口元が歪み空気が漏れることもあり吸引が弱くストロー、麺類は苦手です。
形成外科で2014年に眉毛の引き上げ手術、2015年3月に右口角部を吊り上げ固定する顔面神経麻痺の静的再建手術を受けました。手術痕や笑顔の表情が作れないことで人目を気にするため、外出時は2年間マスクは外せませんでしたが、受け入れるしかないと思いマスクはしていません。
現在
私は、耳下腺癌になり「どうして私がガンになったのか」と悔やんだり落ち込んだりは不思議ですがありません。
聞きなれない癌で当時調べても予後不良、生存率は50%に満たない・・・
ただ怖かったんです。
2016年5月、CT造影剤撮影で肺に影があり再検査が決まると不安になって再びネット検索して「耳下腺癌に負けないぞ!」がヒットしました。
腺様嚢抱癌を罹患されたはまさんのブログでたくさんの知識と前向きで熱意ある行動力、目標を持ち生きるという素晴らしい選択を教わりました。
再検査で肺の影は消えていました。
いま、元気に日常生活を過ごせること、家族に迷惑をかけながらも自分らしく生きようと思います。
まだまだ人生これからの方にとって耳下腺癌の診断や治療の高い専門性が生まれるこを期待します。
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2016.09.06 08:40